2013-12-04 第185回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
きょうは、ロシアにかかわる問題では本当に高い御見識の先生のお話を拝聴させていただいたんですけれども、ロシアの大文豪であるノーベル文学賞の受賞者ソルジェニーツィン氏が著書「廃墟のなかのロシア」で、北方四島について、これらの島がロシアに帰属していたことは一度もなかった、日本がこれらの島の返還を要求するのは国家の名誉、威信にかかわる大問題だからであると述べられ、ロシアがこれらの島を抱え込んで放さないことは
きょうは、ロシアにかかわる問題では本当に高い御見識の先生のお話を拝聴させていただいたんですけれども、ロシアの大文豪であるノーベル文学賞の受賞者ソルジェニーツィン氏が著書「廃墟のなかのロシア」で、北方四島について、これらの島がロシアに帰属していたことは一度もなかった、日本がこれらの島の返還を要求するのは国家の名誉、威信にかかわる大問題だからであると述べられ、ロシアがこれらの島を抱え込んで放さないことは
おっしゃるとおりでして、ソルジェニーツィンというノーベル文学賞をもらわれた方は、「廃墟のなかのロシア」という書物の中で、今御紹介していただいた、日本には有利になるようなことをおっしゃっています。
ロシアの大文豪、ノーベル文学賞の受賞者であるソルジェニーツィン氏は、著書「廃墟のなかのロシア」で、北方四島について、これらの島がロシアに帰属していたことは一度もなかった、日本がこれらの島の返還を要求するのは国家の名誉、威信にかかわる大問題だからであると述べられ、ロシアがこれらの島を抱え込んで放さないことはロシアにとっても外交上の不利益につながる、良識に基づいた明快な主張をされております。
反スターリンの作家、反共の作家ソルジェニーツィンが一九八二年に来日したときに、日本にはヨーロッパにはない家族的な価値、そうしたものがあると。個人より家族を中心にして、道徳も美的意識で考える、そして伝統的価値観がある非常に希有な国だというふうにおっしゃられたんですね。私は、この強みを生かさないと、幾ら財源を求めても、これはもう本当に立ち行かないんではないかというふうに思います。
、これはソルジェニーツィンの「クレムリンへの手紙」の一節の紹介なんですが、これはソ連批判どころか、日本の警察社会にそのまま当てはまるような気がしたという、かなり以前の著作なんですけれども、私は、この間の質疑を聞きながら、やらせていただきながら、この言葉が今ちょっと胸にしみております。
この形、私はテレビでも言ってるんですけれども、ソルジェニーツィンの小説には収容所列島というのがありますね、収容所列島ですね。この収容所列島では最終着地点になり得ないということはイスラエルでも知識のある人たちはみんな知っているんですね。
それは、ソルジェニーツィンさんが昨年インタビューに答えた言葉であります。 それは、自己抑制という言葉を我々はとっくの昔に海の底に落としてしまったと。
○鳩山由紀夫君 しかし、自己抑制ということが自由を得ている人たちが最も大事にしなければならない言葉であり、そして自己抑制ということを、自由を得るために最も必要なことだというふうにソルジェニーツィンさんは言っています。 自民党、自公保政権は自己抑制をなくし……(発言する者多し)
○川口参考人 サハロフ博士あるいはノーベル賞作家のソルジェニーツィン氏というふうな肩書をつけて放送しております。日本においては政治犯とかスパイ罪等についての法律がございません。したがって、これらについての犯罪もございません。法体系を異にする外国のケースの報道についてはなかなか困難な問題がございますけれども、お尋ねのような場合には肩書、敬称を用いることを原則としております。
○元信委員 そうしますと、外国での犯罪でも刑法犯の容疑者については容疑者でいく、それからすべての政治犯は、さっき肩書とおっしゃったですが、ソルジェニーツィン氏という氏は僕は肩書じゃないと思うのですね、尊称だと思います、これは尊称つきでいく、こういう基準があるというふうに理解していいですか。
つまり、ソルジェニーツィン問題などについては、従来の、前の外務大臣の御答弁等においてはなるべく意見を言わない、それは外国のことなんです、わが国外務省は関係ないんだ、それはよその国でよその国がやっておることだという立場で、一貫して無関係と言わんばかりの御答弁で通り過ぎてきている面がある。
よその国で、大変著しく人権が抑圧されているようなケース、たとえば南アのアパルトヘイト問題がある、あるいはまた、国の名前を言ってはいけないけれども、ウガンダの前政権のああいうふうな虐殺行為みたいなものもある、あるいはまたソルジェニーツィン事件のような問題があるといった場合に、これは、宣言していないから、日本はよその国の問題に何も触れませんということで黙っている、こういうことになってしまうわけですね。
ソルジェニーツィンのように、そんなことを言ったら曲学阿世だと、こう怒られちゃう。しかし、ガルブレイスなんか言ってますよ、やっぱり不可能じゃないだろうと。何かこの資本主義、社会主義の収斂の道ということを政治家が模索をしていく、学者も模索をしていく。
これね、私は都々逸が出るとは思わなかったけれどもね、たとえばアメリカのウオーターゲート事件だとか、金大中事件、韓国の、それからまたはそういったもろもろのソルジェニーツィン事件といって——、われわれ見て、ずいぶん変なことをするとか、またはよくないとかいろいろな思いをめぐらしますわね、ああいうことがあるのかなとね。